これは1994年に公開されたアメリカ映画の題名ですが、その話ではありません。河合雅司著「未来の年表:人口減少日本でこれから起きること」(講談社現代新書2017/6/14出版)、さらに「未来の年表2:人口減少日本であなたに起きること」 (講談社現代新書 2018/5/16出版)を読んで考えたことです。ただ、日本全体の問題にするのは実感がないため、私の住む南魚沼の実態ですが。
 2018年、今年は「全国的には75歳以上の人口が65-74歳の人口を上回る年」と河合氏はいいます。しかし、南魚沼市の場合には、すでにこれは2015年に現実となりました。今年の南魚沼市は75歳以上/65-74歳=9,498人/8,560人でほぼ1.1倍です。さらに2025年には10,667人/8,408人となり約1.27倍に増える予定です。河合氏の予想にもどると、「その後も増え続け、2042年に高齢者の絶対数がピークを迎える」とのことですが、多分南魚沼市はその年のずっと前にピークを迎えると思います。
 また、2018年は「18歳人口が120万人より急減することで、私立大学に限れば定員割れが40%を越える年」ともいっています。今、魚沼地域では看護学校が話題に上っています。新潟県の看護学校は2017年4月現在22校あり、定員は1,282名です。来年度には長岡市に1校・定員80名、2年後には十日町市に1校・定員40名の看護学校が開校予定です。他地域に比較して魚沼地域には看護師数が少ないといわれているため、当院も看護師の卵が増え、就職して貰うことは嬉しいのですが、果たして入学可能な18歳の男女はどこの地域にいるのでしょうか。
 2019年は「社会インフラの老朽化が進むとともに、それを支える技術者や税収が減少する年」と河合氏はいいます。南魚沼市では市民病院の隣に17号バイパスの道路ができ、八箇トンネルが開通したため十日町と南魚沼地域の交流が増えるというプラスの面がありますが、今まで使用していた道路の維持管理が制限されるようです。その近隣の人々の生活は大丈夫でしょうか。
 2020年は待ちに待った「オリンピックの年」です。前回1964年の東京オリンピックは高度成長の起爆剤になり、以後、人口も給料も増加しました。日本の人口は、明治維新時には3,300万人でしたが、ピークの平成22年時には12,800万人になりました。しかし、今後は減少が続き、2100年から2150年頃(最大と最小を見積もって)には明治維新の人口に近い3,800万人に戻るといわれています。この人口減少の根本的な原因は言うまでもなく出産数の減少で、先進国全般に見られる傾向です。先進国の若者には、結婚して子供を育てるための経済力と精神的ゆとりそして希望(夢)が持てない共通点があるのかもしれません。また、日本の男子は草食になったといわれますが、草食にならざるを得ない社会状況(低収入、未婚、親の介護)があるのだろうと思います。TVでは盛んに肉食系女子の話をしていますが、これは本当の食事(肉料理)だけの話で、意味が違うようですね。
  2021年は「団塊ジュニアーが50歳台に突入し、企業が管理職の人材不足に悩む年」とともに、「団塊の親たちの介護のために仕事を辞める『介護離職』が大量に発生する年」と河合氏はいいます。これは、介護保険制度の破綻を防ぐために、厚労省が制度の縮小と認定の厳格化を進めた結果といえます。ゆとり教育同様に取り返しのつかない問題にならなければよいのですが。
  ただ、介護保険の引き締め以前でも、南魚沼市では介護施設の役割軽減や施設廃止が始まっていましたし、入所者数が頭打ちないし減少傾向にありました。これは、群馬県や長野県への転出で解決を図っているという裏事情があります。
  さて、地域包括医療・ケアシステムについては、だれもが念仏のように唱えていますが、介護保険という「共助」を維持するために思いついたもので、健康寿命の延長や認知症予防という「自助」努力の動きと、崩壊した核家族や幻想の地域共生や地域助け合いという「互助」を義務として押しつける行動に他なりません。以前、国民の中にあった暗黙の了解は、(介護)保険金を支払い、それを基に施設に入所し、専門職による介護サービスを受け(長生きす)るという、より良い老後の生活であったはずなのです。
 以降、2030年には生産人口が減った結果、ついに百貨店も銀行も老人ホームも地方から消え、2040年にはついに「自治体の半数が消滅する」とも河合氏はいいます。かつて2000年はノストラダムスの予言や五島勉らの世紀末予言者の著書によると、人類が破滅する年とされ、日本全体がパニックに近い状態になっていた気がします。河合氏が予言するように2040年に高齢化や小子化によって本当に人類が消滅するのでしょうか。これは20年ほど先の近未来のことなので、すぐ来てしまいます。最近は、ダン・ブラウン「オリジン、2018.2発売、角川書店」を始め、人類を救う手段はAI(人工知能)と叫ぶ人が沢山湧いてきて、幾つものAIの予言書が出ていますが、2000年の焼き直しと違うのでしょうか。現時点の私の最大の関心事は、八百万の神がいる日本で、いつAIが神に置き換わっていくのかです。
国勢調査の資料
   市民病院のマークを作ることになり、全国に公募することにしました。ホームページや病院だよりに載せたのですが、誰も気づいてくれないのではないかと不安な面がありました。しかし、全国から予想以上の12人から24案の応募がありました。それもすべてプロのかたの作品のようです。
  早速、職員全員による投票を行い、上位3件を選びました。ここで一つに絞らなかったのは、東京オリンピックのロゴマーク騒動が記憶に残っていたからです。類似していたり、盗作であると困るからです。

3つの案のうち、「クローバー」に注目!!
   3つの案について、検索の専門業者に委託すると、その一つのデザインにあった四つ葉のクローバーについてのコメントに皆が驚きました。四つ葉から出ている茎の形やパターンに関係なく、四つ葉が引っかかるとのコメントだったのです。確かに四つ葉のデザインも見た記憶があります、しかし、四つ葉自体が問題になるなんて。では、五つ葉なら、六つ葉ならと考えている途中で、病院のマークとは別にクローバーについて、検索することに道がそれました。検索した結果、四つ葉のクローバーの発生頻度は三つ葉のそれに対して1万から3万分の1程度と非常に少ないことが分かりましたが、それ以上の多葉についての頻度は書いてありませんでした。たぶんそれを研究するような暇な人はいないのかもしれません。そして、四つ葉のクローバーの四枚の葉には、それぞれ誠実(faith)、希望(hope)、愛(Love)、幸運(lucky)の意味があり、五つ葉のクローバーには「経済的繁栄」ないし「財運」の意味が追加され、六つ葉のクローバーは「地位と名声」の意味が、七つ葉のクローバーには「無限の幸福」の意味が追加されるようです。昔から意外と四つ葉以上の葉の数が見つかっていることも分かりました。じゃ、最高は何枚かと検索したところ、某新聞記事に、「岩手県花巻市の農業小原繁男さんが昨年(H27年)5月、自宅の畑で見つけた56葉のクローバーが、ギネス世界記録に認定されたことが20日に分かった。これまでの記録は小原さんが持っていた18葉」とありました。 写真も
 四葉
※選考中のデザインとは関係ありません
一緒に載っていたので、嘘ではなさそうです。20年ほど前、私は四つ葉と供に偶然見つけた五つ葉を大切にしまっておいたのですが、意外と四つ葉以上のクローバーがあることを知り、がっかりする結果でした。また、四つ葉以上のクローバーの発生が遺伝的要因か環境要因かについては議論があるものの、核実験や事故による放射能は関係ないとのことが書かれてあり、こちらの方は安心しました。
  
  そういえば、肝心な病院のマークの行方ですが、ますます類似性チェックが複雑なことになりそうで、今後どうなっていくのか少し心配です。

 定期的にブログを更新すると言っておきながら、忙しさにかまけて放置していました。精神的にゆとりがなかったのでなく、単に他に目が行っていたことに尽きるのですが。締め切りがあると頑張るが、締め切りがないと後回しにした、単にそういうことと似ています。3日坊主と言う言葉がありますが、今回は1日坊主でした。しかし、このブログが大切でないと言うわけではありません。ストレートに大切と言わずに、否定の否定になり、曖昧にしていますが。

 さて、年をとるにつれ、時間の経つのがますます早くなったようです。子供の頃を思い返すと、一日がすごく長くて、一杯遊べた様に思います。最近の会議はあっという間に時間が過ぎ、次の会議や委員会、はたまたカンファレンスと続きます。沢山出来事があり、体験し、費やす時間を足すと1日が長くなる訳ですが、振り返ってみると、1日が短いのです。なぜなのでしょうか。

 時間は客観的なものであると供に、主観的なものでもあります。ある一定の客観的な時間に、沢山の覚えることや興味を引く出来事があると、主観的な時間は長くなるといわれています。ある実験では、客観的な3分間の長さと主観的な3分間の長さは、高齢になるほどズレて、主観的な時間は、客観的な時間を大幅に超えます。簡単に言えば、高齢になると頭の回転が遅くなると言うことなのでしょうね。しかし、回転は遅くとも、一杯時間を費やしています。おかしいと思い悩んでいたのですが、ふと思いつきました。そういえば、時間を費やすものの、新しく覚える内容は少ないようです。全体がほぼ連絡事項です。新しいことは1つか2つありますが、頭で覚えず、手帳に書いています。多分、手帳には沢山のことが綴られるのでしょうが、海馬は働かず、そのために時間を使ったと感じないのかもしれません。では、手帳に書かずに、これらの内容を全部覚えれば良いかなとも思いましたが、今の私の頭では多分容量が足らないでしょう。さらに、つまらないことを全部覚えたって仕方がないと思い、やはり最初から覚える気がないことも自覚しました。だから、時間が早くたつことになり、結局、1日が短いと感じるのでしょう。子供の時のように、もっと大切なことをやり、時間がゆっくりと流れる体験をしたいと思うのですが、もう年齢的に無理なのでしょうか。
 
 ルキウス・A・セネカは、「人生の短さについて」の著書の中で「時間は自分のために使うべきだ」、「多忙な人が年をとっても、長く生きたとは言えない」と述べています。耳が痛いですね。また、時間学会の説では、時間を長く感じるようにするためは、①十分な睡眠や食事を取り、新陳代謝を下げないこと、②マンネリの生活を避けるように、少しずつ新しいことに取り組み、充実した時間を過ごすこと、③強い刺激や恐怖の感情を体験すること、④時間感覚のずれを意識して、日々調整すること、などを提案しています。ということで、(今日は遅いので)、明日からやってみようと思います。そうすれば、このブログも頻繁に書けるようになるかもしれません。

   これから定期的に、いわゆるルーチン化してブログを書いて行くことになりました。
   四季折々に書く「みつば」は院内向け、「病院だより」は市民向けということですが、このブログは、日本語の分かる人向け、ということになるのでしょうか。
    ただ、一般的なことも書きたいと思いますが、専門-オタクの面に走ることも考えて、最初の所に「一般向け」、「専門-オタク向け」と書いてから、話を始めようと思っています。最初はやはり、一般向けでしょうね。


【一般向け】
第1段:「大学病」という病気について
    以前、私が大学に勤務していた時、患者さんが沢山来院され、そのために、何か自分達が偉いような気になっていたのでしたが、それが事実と違うことに気づいたのは大学を辞める時でした。10年以上も外来に来られている患者さんの一言です。私は「退職するためにもうここでは診察が出来ない」といった時、直ちに彼は「先生の代わりに、この科で一番良い先生を紹介して下さい」といったのです。私は、「先生が行くところについて行きます」までは望まないとしても、「先生がいないと困ります」程度は言ってもらえるものと期待していたのですが、彼は自分のことを先に考えられたようです。彼も主治医が代わることで、ショックがあるのでしょうが、私もショックを受けました。別れとはこういうものなのでしょう。 
   病気になった場合、最初に選択するのは大学病院です。最近は、有名な総合病院も選択肢の一つにはいるのかもしれません。ネットで検索し、専門家のいる病院は何でも分かる安心の場所と言うことになっています。まずは、患者さんは大きい建物、高価な検査機械、多くの医師や看護師、そして沢山の患者さん-仲間ですね-がいることで安心するのです。診療所に行ったら、自分以外は誰もいなかった。これでは、不安ですね。私の診察日も、患者さんが一杯いて、予約時間に診察できない時は、何となく不満の態度で入ってこられますが、予約時間通りに進み、待合室に誰もいないと、患者さんは不安そうに入ってこられます。綺麗な建物でかつ行列の出来る店は、やはり安心で美味しいのですネ(自分の舌より、評判ですネ)。
 実は、この気持ちは患者さんだけではありません。働く職員も同じなのです。東京の病院より、私たちの病院の方が給料はよいのです(多分)。しかし、私たちの地域には専門職が都会からはきません。余程田舎と思われているのでしょうか。新幹線も止まるし、近くは高速道路が走り、インターもあるのですが。通勤まで、2時間以上かかり、それも満員電車であっても、働く場所が綺麗で、人が一杯いる方が良いんですね。
   と、いうことで、「大学病」は、別名「安心病」なのです。患者さんだけでなく、職員にとっても3K(綺麗で高層の建物、高価で最新の医療機器/高度医療、顧客・個人の満足度が高い)は大きな要素のようです。
   当院は、先の2つは難しいのですが、何とか最後のK(満足度)を得られるように努力してゆきたいと思っています。

【病院エントランスホール】
 精神科診察風景
【精神科診察室】